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蒸気機関車
羅須地人鉄道協会

 

11号機 マフ・ポッター

1号機 羅須地人鉄道協会により製造された2台目の蒸気機関車。石炭炊き縦型ボイラーに蒸気エンジンを組みあわせたスチームトラムという形をしています。 
 糸魚川の東洋活性白土専用線廃止後の「羅須冬の時代」である昭和58年(1983年)に完成しました。小型軽量の割に使用圧力10気圧と高出力で、しかも運転が容易という事もあり、3号機復活までは羅須唯一の可動蒸気機関車として、いろんな場所で大活躍してきました。完成直後に小田急デパートで展示、試運転は小田急向ヶ丘遊園、その後小田急花鳥山脈で営業運転をこなし、一時は静岡県の大井川流域の接岨峡温泉でデモ運転を行った事もありました。 
 平成6年5月の仮開業に合わせ、まきば線に入線しました。 
 まきば線でもその高性能ぶりを発揮し、子供達の人気の的となっていましたが、最近は復活した3号機にお株を奪われつつあります。 
 製造当時は11号機でしたが、まきば線入線後改番し1号機を名乗っていました。しかし、旧糸魚川1号機の登場により、平成12年(2000年)1月まきば線「1号機」の座を譲り、もとの11号機に戻りました。 
 平成10年(1998年)、とうとう木造の屋根が腐り、オープンカーになってしまいました。「ポッターの部品」ともあだ名されるA氏が「おれが屋根を作る!」と宣言していましたが、いまでも屋根はついていません。
 平成12年(2000年)、ボイラーの配管に一部不具合が発生し、修理することになりましたが、折り悪く機関庫のピットは1号機が鎮座し、誰もかまってくれないまま走行不能の状態が続いています。

昭和58年(1983年) 羅須地人鉄道協会製。使用圧力10気圧。整備重量約1.5トン。 

 


 

12号機インジャン・ジョー

2号機 羅須地人鉄道協会初の自作蒸気機関車。昭和56年(1981年)完成。旧12号機。 
 薪焚き縦型ボイラーを中央に配置し、ボイラー右側の蒸気エンジンからベルトドライブにより後部ボギー台車を駆動しています。無理して表記すれば2−Bの軸配置。 
 しかし、ボイラーの発熱量とエンジンの蒸気使用量、エンジン自体の出力の関係もあり、牽引力は大きくありません。しかし軽量かつボギー車ということで、少々線路状態が悪いところでも安定しているため、インスペクションカーとして使用される事が多いようです。 
 運転の秘訣は「アタマ使うな、マキ燃やせ!」 

 昭和57年の新潟県糸魚川の東洋活性白土専用線の廃止以降、永らくシートをかぶって惰眠をむさぼってきましたが、まきば線の開通により突如目覚めました。 
 が、平成9年(1997年)頃からまた昼寝を始めたようです。ちょっと腐敗も始まってます。 

昭和56年(1981年) 羅須地人鉄道協会製。使用圧力5気圧。整備重量約2トン。 

 


 
 

3号機

 永らく台湾の基隆(キールン)炭坑にて使用されていましたが、昭和46年(1971年)里帰りし、新潟県糸魚川の東洋活性白土専用線に入線しました。 
 昭和48年(1973年)、この機関車を中心に心象鉄道の具現化を目指す羅須地人鉄道協会が発足し、羅須地人の活動の中心的存在となってきました。 
 その後、ポートピア貸し出し後の整備不良、東洋活性白土専用線の廃止などにより10年以上にわたり火が入る事がありませんでしたが、平成9年(1997年)羅須地人鉄道協会の手により徹底的なレストアが実施され、みごと復活し、現在まきば線の中心的存在として活躍中です。 

昭和11年(1936年)楠木製作所製。使用圧力6気圧。整備重量3.5トン。


 
 

6号機

6号機 3号機の同型機。3号機と同様、楠木製作所製で永らく台湾の基隆(キールン)炭坑にて使用されていましたが、同線が廃止になった昭和53年(1978年)、羅須地人鉄道協会の手で里帰りしました。その後東洋活性白土専用線で3号機と共に活躍してきましたが、ポートピア貸し出し後の整備不良の結果、走り装置に重大な損傷をきたし、以降走り装置が取り外されたままの状態が長く続きました。 
 しかし、3号機復活後、6号機のレストアが羅須地人鉄道協会により着手され、近い将来3号機と同様完全復活する予定で、現在は台枠、ボイラー、車輪などバラバラの状態にあります。 
 かつて、糸魚川時代にはなかなか圧力が上がらない、煙が運転室に逆流してくる、そのうえボイラー給水装置がときどき不調になるという、機関士泣かせの機関車でした。 

 平成10年(1998年)暮れから徹底的なレストア作業が開始され、平成12年(2000年)5月、17年ぶりの奇跡の復活を遂げました。その詳細はこちら
 レストアによりボイラーまわりの配管は一新され、不評だった給水装置も新しいものと交換されましたが、3号機よりも煙管が細いため、排煙が焚き口から逆流してくるという特徴はいまだに健在(?)です。

 その後、6月に富山県で行われた「世界トロッコサミット」にも参加し、多くの皆さんにその勇姿をごらんいただきました。その詳細はこちら

 いまでは3号機とともにまきば線の主力機関車として活躍しています。 

昭和16年楠木製作所製。使用圧力6気圧。整備重量3.5トン。


 

1号機(旧糸魚川1号機)

無番号 かつての新潟県糸魚川の東洋活性白土専用線の1号機。同社が戦後まもなく専用線敷設した際、レールなどの資材と共に、不二越商事から購入されたという伝説が残されています。しかし製造者も製造年もすべて不明のなぞの機関車。 
 しかも入線してから大して使用される事もなく協三の2号機に本務機の座を明け渡し、機関庫の筋交いの奥で惰眠をむさぼっていました。その使われなくなった理由として「致命的な欠陥」があった、と伝説は伝えていますが、当時の関係者もほとんどがお亡くなりになってしまったいまとなっては、どんな欠陥だったのかもなぞのままです。 
 東洋活性白土専用線廃止以後、糸魚川市内の建設会社で大切に保存されていましたが、平成11年(1999年)4月、羅須地人鉄道協会の元に嫁いできました。 
 翌平成12年(2000年)より動態保存のために、徹底したレストアが開始されましたが、構造的にヘンなボイラーの火室、何度も溶接しなおした配管や、運転台のなぞの繋ぎ目、やたらと貧弱なブレーキシューなどさまざまな謎や欠陥が発見されています。
 平成13年には台枠・動輪周りのレストアも終了しましたが、肝心のボイラーが老朽化などであちこちに不具合があり、専門のボイラー業者さんに修理をお願いする予定です。しかし多額の費用がかかることが予想され、現在ボイラーまわり以外のレストア作業を続けながら、なるべく安く上げる方法を模索中です。

 なお、それに関連して募金活動を開始しました。ご理解いただける方のご協力をお願いいたします。

製造年、製造者共不明。整備重量たぶん8トン前後。 
 

 



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